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八久呂伝説

吉賀町の「よしか」の地名の由来は、興味深いものがあります。 大和(白鳳)時代(西暦700年頃)、この地に物凄い化け物がやって来ました。 この化け物は人や家畜を襲って食らい、住民を恐怖のどん底に陥れました。 化け物の姿が鹿に似ていた事から、この場所を「悪鹿(あしか)の荘」と人は呼びました。 この地は、後に川原に生える葦(アシ)が、(ヨシ)に転じる様に、「よしか」と呼ばれる様になったと云われてます。

化け物の名は「やくろ鹿」(八久呂鹿、八畔鹿)と言います。 吉賀記(江戸時代の地方誌)に寄りますと、八久呂鹿は九州の筑紫に現れ、関門海峡を渡り山口県の鹿野(周南市)を経由して、この地にやって来ました。 そして、吉賀町の大岡山へ居ついてしまいました。 八久呂鹿の異形な様子は、次の通り記されています。

・足が八本あり、角は八又に分かれている。 ・体毛は赤く一尺余りの長さがある。 ・目は二つの鏡の如く輝いている。 ・口は裂けており、箕の様な形をしている。 ・竜の様に空を飛び、虎の様に地を駆ける。

住民は恐れて、農事を止めてしまいました。 大岡山の麓の「立戸」と言う地名からは、住民が家に立て籠もった様子が伝わって来ます。

この事が時の政府に伝わり、退治命令が発令され屈強な武士の「江熊 太郎」が遣わされました。 江熊太郎は、八久呂鹿と壮絶なバトルを行い、ようやく相討にて化け物を退治しました。

江熊太郎が死んでしまい困った住民は、山口の大内氏に後始末をお願いしました。 やって来た使者は、八久呂鹿の死体を点検し画いて記録し、証拠に角を切り持って帰りました。

八久呂鹿は、死んだ後も霊力が強く、次の様な霊象が残りました。 ・柚子の木の下で八畔鹿の解体をした為、その場所(抜月あたり)から上流は柚子がならなくなった。 ・八畔鹿を画に写した時に、余った墨を流した跡が今も岩に残っている。 ・八畔鹿の角を都に運ぶ途中に日没となり、角を松の枝に掛けたら昼の様に明るい燈火が終夜消えずに灯った。

八畔鹿の霊を神として祀ったところ霊験あらたかで、現在も町内に「奇鹿(くしか)神社」という神社が町内に二社残っています。

江熊太郎も「荒神様」として、各神社に祀られています。
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またもう一つ吉賀町には化け物鹿の伝説があります。 吉賀町柿木村大井谷の近くに大鹿山という大きな山があります、「平栃の滝」など美しい幽谷を持つ山で ここに「ヤクロウ鹿」という片方の角が四股ずつになった怪鹿が住んでいたそうです。 八久呂鹿=ヤクロウ鹿 なのかは定かではありません。 しかし、立河内(六日市)の水と大井谷の池は繋がっているという伝説もあり、もしかしたら大鹿山は八久呂鹿の別宅だったのかもしれません。

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